このページの作成監修は真言宗 正覚山 慈光院住職 佐藤和昌です。最終更新日:2020年5月27日

プロフィール

氏名 佐藤 和昌(さとう かしょう)
生年月日 1966年10月3日
水子供養、九星気学・密教占星術運命鑑定、開運・厄除けを行っております。
得意なこと
パワーストーンのブレスレット作り。九星気学・密教占星術運命鑑定や開運・厄除け。
モットー:水子という女性にしかわからない悲しみを一緒に分かち合いましょう。お寺から帰る時には少し笑顔になれるよう心を込めて供養させていただきます。

history(ヒストリー)

ヒストリー

1.生まれ

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1966年10月3日
福岡県北九州市八幡西区にて生を受けました。只今53歳でございます





2.いじめられっ子の子供時代

子供の頃はとにかく気が弱くて自分の気持ちを一切口にすることのできない、いわゆるいじめられっ子でありました。

お勉強に関しても、わからないと言えませんでしたので、当然かなしい成績でありました。これは小学校を卒業するまで続いていたと思います。
お友達もいませんでしたねぇ、、😅

3. 学生時代は剣道に明け暮れ

こんな存在感のない子供ではありましたが、小学校を卒業する直前にはこのままでは辛くて寂しいだけだ!と思いだしておりました。なので私を知らない人が沢山いる中学で、新たにデビューを飾ろう!と決意してました。

中学入学と同時に剣道部に入部いたしました。先生や友達に恵まれて両親に支えられ中学3年の夏には全国大会に出場することができました。初戦で敗退してしまいましたが、自分の中では全国大会に行くまでのプロセスは大きな誇りになったように思います。

高校へ進学後も剣道は続け、玉竜旗に出場できたことも、よい思い出です。在学中に剣道は二段になれました。
私の学生時代は剣道に明け暮れ、恋愛経験もなく汗と涙にまみれた青春でありました。弱かった小学生の時とは違い苦しみに耐える忍耐力と根性は養えたと思います。

4. 私にもあったOL時代

高校卒業後は地元の銀行に入行し、それこそ学生時代には味わえなかったいわゆる花のOL時代をまっしぐらに突き進みました。おっちょこちょいな私ではありますが、やっぱり上司と同僚に恵まれて窓口のお姉さんとして、約7年間勤務し結婚を機に退社いたしました。

5.主人が原因不明の病に、トイレに歩いて行けない

アンティークショップ

2人目の子を妊娠しているときに主人が脱サラをしてアンティークショップをはじめました。あの頃はアンティークが流行っていましたねぇ〜😊
なんですが、その頃から主人が原因不明の病になり何十軒もの病院に連れて行きましたが原因が、わからず主人はついにトイレに歩いて行くことも出来なくなってしまいました。



6.主人の病の原因は私が産めなかった赤ちゃんからのメッセージ

歩けなくなった主人に始めたばかりのお店、妊娠、、、
頭を抱える日々が続いていました。

そんな時、私の父が体の具合が悪く、いろいろな病院に行っても、治らなかったときがありました。親しい方の紹介で行橋のお寺にお世話になり、身体が回復したことを思い出し、そこへ相談してみることにしました。

あの時はわらをも掴む気持ちだったとおもいます。初めての経験というか、お寺に相談?という不思議な状況に緊張はしましたが、お若くて親しみやすい住職に不安が和らいだと思います。

仏前結婚式

相談していくうちに、主人の今の病は私が産めなかった赤ちゃんからの寂しいメッセージであったことが分かりました。
一刻も早く私の水子ちゃんと主人を助けるため、住職に教えていただいた水子ちゃんの永代供養をお願い致しました。

後日水子ちゃんへお供えするお菓子を持ってお寺に行き、水子ちゃんの成仏を願いご供養に参列しました。その日の夜あたりから主人の顔色が少しずつよくなり、食事を普通にとり風呂に入る姿を見て本当にビックリしました。こんな不思議は赤ちゃんからのきっとお礼なんだと思わざるを得ませんでした。

主人が順調に回復してから、お寺とのご縁はどんどん深まり、なんと出産後に2人して得度し、結婚式を挙げておりませんでしたので、その時に仏前結婚式までして頂きました。

あの時の感動は今でも忘れることはできません。

7.主人は僧侶を目指し

その後、主人は本格的に僧侶の道を目指し修行に入りました。
あの時、お寺の師匠に救われたことをきっかけに自分も苦しんでいる人々を助けたいという気持ちになったようです。

お店の仕事と修行!!主人も苦しい時期を越えようやく京都の醍醐寺にあがり伝法灌頂を受け、晴れて僧侶となりました。

自宅にあったプレハブからはじまり
コツコツお参りをつづけるうちについには大分県湯布院でお堂を持つことができました。

そんな主人の手伝いをしていくうちについには私までもが修行の道に、、

8.私も修行の道へ

修行

そこで主人やお寺の住職に相談して平成22年の6月19日に修行に入りました。

いざ始まってみると、子育てと店の仕事、主婦の仕事に義父の介護、、
そのため、修行が進まず一緒に修行に入った仲間は先に進み姿が見えなくなるようでした。

修行は競争ではないのに、遅れを取っているようで焦るばかりの日々でした。

なんだか情けなくなり、もう無理なのかな?普通の主婦の方がいいのかな?心が折れそうになり泣いてしまうことが増えたようでした。

9.修業は厳しい

護摩行 護摩行
修業は覚悟した以上に厳しいものでした。
①滝行は日々2~3回、冬も休まず1年半続けました。
②108回の五体投地。3000回の五体投地(五体投地とは両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝)
③護摩行

それでも、家族や住職そして私の水子ちゃんの応援のおかげで、他人の2倍以上の月日をかけてようやく修行が終わりました。平成24年に京都府の醍醐寺にあがり伝法灌頂をうけはれて僧侶になる事ができました。

10.真言宗 正覚山 慈光院を開きました

表札

晴れて僧侶になったことをきっかけとして福岡県京都郡(みやこぐん)に居を移し、真言宗 正覚山 慈光院を開きました。

日々のお勤めの他①九星気学・密教占星術を用いた運命鑑定②開運・厄除け③天然石を使った開運ブレスレット作成などを行っています。

また水子供養は、
女性ならでは、もしくは悲しい流産や堕胎を経験した尼僧としてお客様に寄り添う優しい水子供養をさせて頂いてます。
人には言えない辛い思いはぜひこの和昌にお話ください。慈光院はいつでも皆さまの側にあり続けます。
慈光院に来てよかったと思っていただけるような場所でありたいと日々精進しております。

ご連絡くだされば和昌は皆さんを笑顔でお迎えいたします。    合掌